☆島津義弘陣跡☆
島津義弘陣跡
【所在地:関ヶ原町小池字神田】
ここは北国街道(現R365)から南へ約50m強入ったところにあり、『山田有栄覚書』に「義弘ノ陣ハ三成ノ右方一町餘後ロニアリ義弘姪豊久之ガ前隊タリ」と記されている。義弘は前面に甥の豊久と山田有栄を置いて戦いに備えるが、島津勢は攻められたら応戦はするものの、遂に積極的な戦いはしなかったようである。周囲の西軍が壊滅した後、義弘は「島津の前退」と呼ばれる決死の敵中突破を行い、豊久や阿多盛淳を失うが、山田有栄や木脇祐秀らに守られて帰国を果たす。

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